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戸籍からわかること

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1.はじめに

 弁護士の仕事には、戸籍を読む場面が数多くあります。相続の事件をお受けすると、亡くなった方の出生から死亡までの戸籍をすべて集め、相続人を確定する作業が必要になるからです。婚姻、離婚、養子縁組、転籍などによって戸籍が移っていれば、一つ前の戸籍へ、そのまた前の戸籍へ。家族関係が複雑な事案では、集めた戸籍が数十通に及ぶこともあります。
 それだけ他人様の戸籍を読んできながら、自分の家の戸籍を遡ったことは、一度もありませんでした。
 そこで、あるとき思い立って、父方と母方、両方の戸籍を遡れるところまで取り寄せてみました。今回は、その顛末と、そこで考えたことを書いてみたいと思います。

(筆者が取得した明治期の除籍)


2.戸籍はどこまで遡れるのか

 戸籍は、現在の全部事項証明書から、改製原戸籍、除籍へと、順番に辿っていくことができます。保存状況にもよりますが、明治時代に作られた戸籍まで遡れることがあり、そこには、江戸時代に生まれた方が記載されていることもあります。除籍の手数料は、一通750円です。750円で、会ったことのない先祖の名前が分かるのですから、安いものだと思います。
 もっとも、どの家系でも同じように遡れるわけではありません。除籍や改製原戸籍の保存期間は現在では150年とされていますが、かつてはこれより短かったため、期間の経過により既に廃棄されてしまったものがあります。戦災や火災で失われたものもあります。請求しても「廃棄済み」「焼失」との回答で行き止まりになることは、実務でも時折経験します。

3.戸籍の取り寄せ方

(1)誰の戸籍を取得できるか

 自分で取得できるのは、原則として、自分自身、配偶者、直系尊属(父母、祖父母、曾祖父母など)及び直系卑属(子や孫)の戸籍です。兄弟姉妹、叔父叔母、いとこは傍系の親族ですから、親族であるというだけで、その方の戸籍を自由に取得できるわけではありません。相続のご相談の際にも、よく誤解されているところです。
 なお、弁護士には職務上請求という制度がありますが、これは、受任した事件の処理に必要な場合に限って認められるものです。個人的な家系調査に用いることは当然できませんので、私も、一人の市民として、通常の本人請求により取り寄せました。

(2)郵送請求

 本籍地が遠方にある場合の基本は、郵送請求です。交付請求書、本人確認書類の写し、手数料分の定額小為替、返信用封筒を、本籍地の市区町村へ送ります。古い戸籍まで遡りたいときは、「対象者の出生まで遡れる戸籍をすべて」といった趣旨を書き添えておくと、担当の方が、繋がる範囲で探してくださいます。
 様式や必要書類は市区町村によって異なることがありますので、請求前に、その市区町村のウェブサイトや戸籍担当窓口で確認しておくのが確実です。定額小為替を買うためだけに郵便局へ行かなければならないのは少し手間ですが、遠方の古い戸籍を集める方法として、郵送請求は今も欠かせません。

(3)広域交付制度

 令和6年3月からは、戸籍証明書等の広域交付制度が始まり、本籍地以外の市区町村の窓口でも戸籍証明書を請求できるようになりました。本人が窓口へ出向く必要があり、郵送や代理人による請求はできないこと、顔写真付きの本人確認書類が必須であること、データ化されていない古い戸籍は対象外であることといった制限はありますが、便利な制度です。
 私も、この制度が始まったことを受けて、一度自分の戸籍を取得してみようと思い立ちました。
 窓口で聞いたところによれば、広域交付制度によって、家系図の作成といった目的での戸籍の取得が増えているとのことでした。

4.古い戸籍は、簡単には読めない

 さて、戸籍が届けば家系がすぐに分かるかといえば、そうはいきません。
 古い戸籍は、縦書きの手書きです。旧字体や崩し字が使われ、「戸主」「家督相続」「隠居」「分家」「入夫婚姻」といった、今の戸籍では見かけない言葉が並びます。日付はすべて元号ですから、文政、嘉永、万延、慶応、明治と、頭の中で西暦に置き換えながら読み進めることになります。
 仕事柄、多少は読み慣れているつもりでしたが、明治の戸籍まで読むことはそうそうあることではないため、勝手が違いました。一つの文字が読めないために、前後の戸籍を引き比べ、別の人の続柄と照合する。スキャンして画面上で拡大し、変体仮名の一覧表と見比べる。それでも、最後まで読めない字もあります。

(参照URL:https://mu-komonjo.com/wp/wp-kmj2022/wp-content/uploads/2022/02/a81b663007b6b82f7b3d661c1ac14199.pdf


5.戸籍から現れた人たち

 遡り着いたもののうち、いくつかの先祖を紹介させていただきます。

(1)神恵内の橋村家

 母方の曾祖母・ハナ(母の母の母)の実家は、橋村家といいます。取り寄せた除籍の本籍欄には、「北海道古宇郡神恵内村」とありました。積丹半島の西側、日本海に面した、かつて鰊漁で栄えた小さな村です。私は太平洋側の苫小牧で育ちましたから(以前の私の記事参照:のびゆく苫小牧)、同じ北海道内でも、ちょうど反対側の海にルーツがあったことになります。
 ところで、高祖父母という人は、誰にでも16人いる計算になります。母の母の母の父、と辿って、ようやくその一人に行き着きます。この家の戸主である高祖父は、万延元年(1860年)の生まれでした。その長男、つまりハナの兄にあたる橋村誠は、明治25年(1892年)の生まれ。のちに神恵内村の村長を務めた人です。郷土誌『懐郷かもえない』を開くと、「歴代村長」の頁に、確かにその名が載っていました。
 私が4歳のころに人生で初めて出席した葬儀はハナさんのものでした。
 残念ながら私にはハナさんと話をした記憶はありませんが、戸籍を見てなんだか懐かしい気持ちになったので、本年中には神恵内を訪れたいと思います。

(参照URL:https://www.vill.kamoenai.hokkaido.jp/hotnews/files/00000200/00000203/kaikyou.pdf


 村長を務めたという事実は、戸籍のどこにも書かれません。戸籍に載るのは、名前と、生年月日と、続柄と、本籍の移動だけ。その人が村で何を成したかは、当然ながら公簿の関知するところではないのです。

(2)貝取澗の校長先生

 橋村家からは、話がもう一つ繋がります。私の曾祖母・ハナは、同じ北海道の日本海側でずっと南へ下った道南の、貝取澗(かいとりま・現在のせたな町)や奥尻島で教師をしていた堀内豊吉(母の母の父)と結婚しました。
 豊吉は、奥尻小学校や貝取澗小学校で校長を歴任していたと祖母から聞いたことがあります。
 また、私の母が20代のころに奥尻島に旅行に行った際には、豊吉先生の孫だと島民に伝えると、豊吉先生のことを島中の人が知っていて、手厚いおもてなしを受けることができたそうです。

 貝取澗小学校の閉校記念誌の「歴代校長」の表に、第九代・堀内豊吉、在任は昭和21年3月から昭和22年4月まで、とありました。
 その貝取澗小学校は、平成10年に閉校して、いまはもうありません。学校がなくなっても、記念誌の中に、八十年前の校長の名前が残り続けています。

(参照URL:https://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/fs/1/2/7/7/4/4/8/6/_/07_kaitorimaele.pdf

(3)油戸の神宿

 先祖の戸籍は、北海道の外にもありました。山形県西田川郡の油戸(あぶらと・現在の鶴岡市)にある佐藤家です(父の母・トモ子の実家)。庄内の加茂港のすぐ南にある、日本海に面した小さな漁村です。
 この油戸には、「神宿(かみやど)」というしきたりが伝わっています。集落の家が一年交代で神様をお預かりする当番のことで、年に一度の祭りの日には、獅子舞が家々を廻ったあと、受け渡しの儀式をして、次の神宿へ引き継がれていきます。地区の記録では、明治29年から神宿家の名前が受け継がれているそうです。
(参照URL:https://yamagata-kamo.jp/4604/
 私も幼少の頃から、佐藤の家にも神様をお預かりしたことがあるという話を聞いたことがあったことを、戸籍を取り寄せて思い出すことができました。

(4)文政5年と、白石善右衛門

 父方の白石家の本籍は、新潟県南蒲原郡田上村(現在の田上町)にありました。北海道で生まれ育った私にとって、自分の名字の来歴が新潟にあったというのは新鮮な発見でした。
 生年月日の分かる最も古い祖先は、文政5年(1822年)生まれの白石忠吉(父の父の父の母の父)でした。明治維新のおよそ半世紀前です。
 そして、その忠吉の父として、同除籍には「白石善右衛門」という名前がありました。
 善右衛門さん自身の戸籍は、どこにもありません。分かるのは、名前だけです。生まれた日も、亡くなった日も、どんな声で話す人だったのかも分かりません。親子の年齢差を単純に考えれば、およそ寛政年間――1790年前後の生まれと思われます。戸籍という制度が影も形もなかった時代を生き、子の父として名前ひとつを残して、この人は公簿から姿を消しています。
 なお、ほかの筋にも古い名前が残っていました。父の父の母の父の父は「瀬川弥右衛門」、母の父の父の父の父は「中川新左衛門」。善右衛門、弥右衛門、新左衛門と、衛門の付く名が三人も並ぶと、遡っている時代の深さを実感します。


6.戸籍に書かれていること、書かれていないこと

 戸籍から分かることは、たくさんあります。出生、婚姻、離婚、養子縁組、死亡、本籍の移動。身分関係の骨格は、戸籍を繋げていけば浮かび上がってきます。
 一方で、書かれていないことも、同じくらいたくさんあります。その人がどんな仕事をしていたのか。なぜ海を渡って北海道へ来たのか。家族の中でどんな人だったのか。そもそも戸籍には、職業を書く欄がありません。村長であっても、校長であっても、書かれ方は同じです。
 幼くして亡くなった子が記載されていることもあります。載っているのは、氏名と、生まれた日と、亡くなった日。それだけです。その二つの日付のあいだに流れた時間のことを、戸籍は何も語りません。
 戸籍は、身分関係を公証するための制度であって、家族の歴史を物語として残すための制度ではない。当たり前のことですが、自分の家の戸籍を前にすると、この当たり前が、少し違った重さで感じられます。骨格の内側にあったはずの暮らしを知るためには、別の資料と、家族の記憶が要るのです。

7.戸籍を家族と見る意味

 整理した戸籍を、家族にも見せてみました。
 戸籍に現れる名前の中には、家族が名前だけは聞いたことのある人もいれば、誰も知らない人もいます。記載された地名をきっかけに、昔聞いた話を思い出すこともあります。神恵内の村長も、貝取澗の校長も、油戸の神宿も、戸籍が呼び水になって家族の記憶を掘り起こしてくれました。
 戸籍そのものは、役所が保存してくれます。しかし、その人がどんな人だったのかという記憶は、役所には保存されません。話を知っている人がいなくなってから、窓口で思い出を請求することはできません。
 戸籍を遡ることの意義は、先祖の名前を一つでも多く知ることだけではないように思います。戸籍を手掛かりに、今ならまだ聞ける話を、聞いておく。そのきっかけを作れることにこそ、意味があるのではないでしょうか。

8.弁護士の実務との関係

 相続の案件で戸籍を集めるのは、相続人を確定するためです。亡くなった方に子はいるか。前婚の子はいないか。養子縁組はないか。子が先に亡くなっていれば、代襲相続人はいるか。これらは、出生から死亡までの戸籍を連続して取得しなければ確認できず、一通でも抜けていれば、相続人を見落とすおそれがあります。戸籍収集は、遺産分割協議や相続登記、預貯金の解約といった、後に続くあらゆる手続の土台となる重要な調査です。
 自分の戸籍を遡ってみて、この束の見え方が少し変わりました。相続事件の戸籍は、法律上は相続人を確定するための資料です。けれども、その一枚一枚は、依頼者のご家族が実際に歩んでこられた足取りの記録でもあります。法的な判断の正確さを保ちながら、その背後にある家族の時間にも心を配ること。当たり前のようでいて、忘れてはならないことだと、改めて感じています。

9.終わりに

 二百年分の戸籍を読み終えて、いちばん印象に残ったのは、戸籍に書かれていないことの多さでした。
 戸籍には、記録されている事項の全部を証明する、という趣旨の一文が印字されています。ただ、その全部には、村長も、校長も、神宿も入っていません。もともと記録されていない事柄は、証明のしようがないのです。
 自分の戸籍を遡るのに、特別な資格は要りません。ご両親やご祖父母がお元気でいらっしゃるうちに、取り寄せた戸籍を囲んで、昔の家族の話を聞いてみてください。戸籍に書かれていないことは、覚えている人に聞くほかないからです。

弁護士 白石 森生