1.はじめに
今年の大河ドラマは紫式部をモデルとしたものですが、紫式部と聞くと過去に国語科の教員免許を取得するために平安文学の講義を受けたことが思い出されます。今回はその紫式部が活躍した平安時代の日記文学についてご紹介したいと思います。
2.日記文学とは
平安時代の貴族は朝廷から配布される暦にその日の出来事や年中行事、儀式の内容、手順や作法などを細かく記すのが一般的でした。こうした貴族の日記は、親から子へ家宝として伝えられ、子供は父祖の日記を参考として学び、儀式や行事に臨んでいたようです。
日記にはそれまで行事や作法の備忘のために漢文で記されていたところ、仮名が発達するとともに、自己の内面や感性を表現するものとして女性も書き綴られるようになりました。
平安期の日記文学は今から千年以上も昔の当時の生活を知ることのできる貴重な資料だと思います。これほど昔の当時の人たちの暮らし振りがうかがえる資料が複数現存しているのは世界的に見ても珍しいのではないかと思います。こうした記録から平安期における生活や儀式社会制度を知ることができるのみならず、日記という私的な記録を通じて当時の人間関係や記述者の内面を直接的に見ることができるところが他の文学作品と異なり興味を引くところです。
3.平安時代の日記の代表的なもの
・土佐日記(作者 紀貫之)
小倉百人一首の歌人の一人でもある貫之が任国土佐(高知県)から帰京するまでの55日間を記録したものです。土佐日記は仮名文字が用いられており、貫之が女性に仮託して書かれたものです。貫之がなぜ女性に仮託して書いたのかについては議論があるところですが、当時男性が好んで用いた漢文日記よりも仮名文字を用いることでより繊細な表現が可能となったのではないかと考えられています。自分を素直に表現する方法として仮名文字を用いた日記にしたのではないかと考えられています。
・蜻蛉日記(作者 藤原道綱母)
日記の体裁をとった文学作品で、19歳から39歳ぐらいまでの約20年間の出来事が綴られており、源氏物語にも影響を与えたとも言われています。作者は、藤原道長の父兼家の妻で、右大将藤原道綱の母、日本で最初に日記文学を書いた女性と考えられています(後記の家系図もご参照ください)。蜻蛉日記には平安時代の夫婦の関係性や暮らしぶりが描かれています。
・紫式部日記(作者 紫式部)
「源氏物語」の作者である紫式部が一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)に仕えていた時のことが描かれています。中宮彰子が長男を出産する際の様子や宮使え雑録など、単なる記録としてではなく紫式部独自の視点で宮中の様子が描かれています。
・御堂関白記(作者 藤原道長)
道長が内覧となった30歳から25年以上にわたり書き綴られたもので、儀式や政務に関する記述がなされています。道長は摂政には就任したことはあるものの、一度も正式には関白になってはいないのですが、一条天皇・三条天皇・後一条天皇の三代の天皇にわたり絶大な権力を有したことから、後の人々が道長の日記を御堂関白記と称したと考えられています。研究者によれば、記主本人の記録した自筆本が現存しており、世界最古の自筆日記であると言われています。儀式についての記述のほかにも家族についての記載も見られ、それらの記述から道長の性格を読み取ることができます。
・小右記(作者 藤原実資)
小野宮右大臣日記ともいわれ 977年から1040年頃までの六十余年にわたって記録がなされています。道長の望月の歌と言われる「この世をば/わが世とぞ思ふ/望月の/欠けたることも/なしと思へば」についてもこの小右記に記されています。小右記には、当時の儀式運営や政務に関して詳細に記録されており平安期における史料的価値の高い作品と考えられています。現代語訳小右記も刊行されており、全16巻にわたる大作です。
大学などで小右記についてのゼミが開催されることもあったようで、私も時間があればこの時代の記録として全16巻を通読してみたいと思います。
4.むすび
土佐日記や蜻蛉日記などは学生時代に日本史や古典で学習した方もいらっしゃると思います。その時はただただ試験対策として、知識を詰め込むだけだったかもしれません。最近は、平安時代の生活様式や衣装等についても書籍が刊行されていますので、そうしたものと合わせて日記を読むとよりイメージが膨らむのではないかと思います。皆さまも日記文学に触れて平安時代に想いを馳せみてはいかがでしょうか。
弁護士・社会保険労務士 澤井 利之
